こんにちは!こか([jin_icon_arrowbcircle]プロフィールはこちら)です。
さぼりはいけません
息子(当時中2)が学校を休みがちになった頃から「不登校」について勉強を始めました。
そんな中で見かけた言葉。
「さぼりはいけません」
うん、納得はできる。
でもでも・・・・・。
「さぼり」ってどうしたら分かるの?
息子は
高熱が出ているわけじゃない
大怪我をしているわけじゃない
いじめられたわけじゃない
◯◯じゃない…
「ない」「ない」だらけです。
本人もどうしてか分からない。
でも学校に行けない。

親からみれば、「さぼりーーーー!!」とジャッジしてしまう状況です。
だけど子どもの表面的な部分だけを見て、親が「さぼり?」「さぼりじゃない?」なんて、勝手にジャッジすると子どもはつらい。
結局は、わからないのに。
本当に「さぼり」かどうかなんて判断することはむずかしい…
子どもに「さぼりはいけません」と伝える?
これも厳しくないですか?
何にも考えていないように見える。
結構のほほんとしている。
「さぼり」
にみえるよ。どうみても。
だけど、本人が「ダメだダメだ」って一番思っているんです。
ある日、息子が泣きじゃくりながら言いました。
「自分が駄目すぎて、嫌になる」
何にも考えていない(ようにみえた)息子は自分を責める毎日をすごしていました。
学校を休んでいるだけなのに。
「学校に行くのは当然」
根強く刻まれています。
「さぼりはいけない」って子どもが一番思っています。
心が疲れて、歯車がおかしくなって、さぼりではないのに。
目に見えた理由が言えない、分からない。
だから「さぼっている」と思っています。
思って思って、悩んで悩んで、責めて責めて。
傷つききったところへ親が「さぼりはいけない」と言ったら。
とどめを差してしまうのでは?
本当にさぼりだとしてもよくない?
さぼり=悪
さぼり=息抜き
とみてあげませんか?
な~んて余裕があるようなこと言っていますが、出来なかったんです私。
さぼりはいけないと、なんとか息子(中2)を学校に行かせようとした時もありました。
怒ってみたり、私より身長の高い息子を抱えて起こそうとしたり。
でも、結局どうだったか?
息子は現在、不登校となりました。
不登校について勉強した今となっては、この不登校も正直アリだと受け止めています。
ですが、さぼり(と、言う名の)息抜きを認めてあげていたら結果も違っていたのかな?と思っています。
休みたい・さぼりたいは、子どもの小さなSOSかもしれません。
受け入れてあげるのも1つの手ではないでしょうか?
「これってさぼり?」まとめ
- 「これはさぼり?」のメガネを親はかけない
- 「さぼりはいけない」って子どもが思ってる
- 「さぼり=息抜き」と思ってあげよう
現在、息子は復学。
復学したのは息子の希望でした。
また「行かない」を選択したら、それでOKです。
選択の自由があっていい!と思っています。
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